セラピスト歴20年を振り返る①出会い編
記憶の糸をたぐり寄せると、いつも決まってあの地下街の喧騒と、少しひんやりとした空気が蘇ってくる。
現在でこそ、ベテランセラピストとしての日々を送っている私だが、最初からこの道を目指していたわけではない。すべてはあの日の、ほんの些細な出来事から始まったのだ。
それはまだ私が、何者でもなかった大学生の頃。当時の彼女とデートをした帰りのことだった。
大学生とは名ばかりで、ろくに講義にでることもない。朝からパチンコ屋に並んでスロットのレバーを叩き、たまに大学へ行ったかと思えば、薄暗いサークルの部室で友人たちと煙草の煙に巻かれながら麻雀牌をかき混ぜる。そして夜になれば自分の実家には帰らず、当然のような顔をして彼女の部屋へ転がり込む。
自嘲を込めて言うなら、絵に描いたような「クズ大学生」だった。
そんな怠惰な日々の中、名駅——名古屋駅の地下街をあてもなく歩いていた時のことだ。ふと、隣を歩いていた彼女が足を止め、ある店舗の看板を指差した。
「ねえ、ここ行きたい!」
彼女の視線の先には『フットセラピー』の文字。足つぼマッサージの専門店だった。
足つぼマッサージの存在自体は知っていた。テレビの深夜番組で、お笑い芸人たちが罰ゲームとして顔を歪め、のたうち回っているのを面白おかしく見ていたからだ。足の裏の痛い部分で身体の悪い場所がわかるという、どこかオカルトチックで東洋医学的な現象にも、ほんの少しばかりの興味はあった。
「まあ、話のネタにはなるか」
私は面白半分で頷き、彼女と共にその店へと足を踏み入れた。今にして思えば、あの薄暗い地下街の入り口が、私の人生を大きく変えるターニングポイントだったわけだ。
案内された席に現れたのは、華奢で大人しそうな、同年代か少し下くらいの女性セラピストだった。
マッサージの知識など微塵もなかった当時の私は、大きな勘違いをしていた。人間の身体をほぐすには「力」が必要であり、こんな細腕の女の子に何ができるのか、と。プロの体重移動と的確なツボへのアプローチが、腕力とは次元の違う破壊力を生むことなど、知る由もなかったのだ。
彼女の手前、変に虚勢を張っていた私は、その華奢なセラピストに向かって気さくに言い放った。
「思い切りやっちゃって大丈夫だよ! 俺、痛いの全然平気だから!」
「はい! わかりました!」
その声は明るく、弾んでいた。だが、彼女の瞳の奥が、獲物を狙う猛禽類のようにギラリと妖しく輝いたのを、私は見逃すべきではなかったのだ。
「それでは、刺激入れていきますね〜!」
その声が耳に届いた直後だった。 足の裏の一点に、信じられないほどの圧力が集中した。それは単なる「痛み」という言葉では片付けられない、雷に打たれたような鋭い衝撃だった。足裏から神経を伝い、脊髄を駆け上がり、脳天を突き抜ける圧倒的な激痛。
(……っ!?)
私は息を呑んだ。 強めで!と豪語してから、わずか三秒。圧倒的な敗北だった。
しかし、自分も男だ。隣のベッドにいる彼女の手前、情けない悲鳴を上げるわけにはいかない。私は口を真一文字に結び、全身に冷や汗をかきながら必死に耐え忍んだ。
だが、そんな薄っぺらいプライドは、セラピストの容赦ない親指が、足裏の奥深くにあるツボ——今ならわかる、あれは小脳の反射区だろう——的確に抉り抜いた瞬間に、呆気なく崩れ去った。
「……すいません、もう少し、弱めでお願いします……」
絞り出すような私の声に、セラピストは涼しい顔で圧を緩めた。こうして、私の記念すべきマッサージ初体験は、虚勢と激痛、そして果てしない恥ずかしさによって彩られたのだった。
しかし、物語はここで終わりではない。 本当の衝撃は、施術がすべて終わった直後に待っていた。
「お疲れ様でした」
その声に合わせてベッドから降り、床に足をついた瞬間。私は自分の感覚を疑った。 足が、異常なほどに軽いのだ。一日中歩き回り、鉛のように重く怠かったはずの足が、まるで重力を失ったかのように軽快だった。朝起きたばかりの、あのまっさらな状態にタイムリープしたかのような錯覚。
隣を見ると、ブーツを履こうとしていた彼女が歓声を上げていた。 「すごい! むくんでパンパンだったブーツがスカスカになってる!」
激しい痛みの向こう側に待っていたのは、この上ない解放感と感動だった。 人の手ひとつで、ここまで身体が変わるのか。私はすっかり打ちのめされ、同時に、その得体の知れない魅力に心を奪われていた。
そうして私は、当時まだ物珍しかった足つぼマッサージの世界へと、底なし沼に沈むようにどっぷりとハマっていくことになる。

